遅くなってすいません。2日経ってしまいましたが、感想を書きます。
今週でようやくfate zeroも終わり。
最終話を一言で表すなら…希望。
これしかないでしょう。確かに登場人物の内ほとんどが死に、黒幕である綺礼とギルガメッシュは生き残るという皮肉な結果。
ですが、それでも希望はある。それは、それぞれ芽吹いたもの、受け継がれた意思があったから。
士郎は切嗣の理想を受け継ぎ、凛もまた歪んだ形ではあるが父の信念を受け継いだ。
そしてウェイバーもまた、男として一回り大きくなり、まずは見識を広めようと行動し始めた。
つまり、若者、子供が前へ進む決意をしているわけです。これらは、fate/zeroがただ絶望的なだけの物語ではないという何よりの証。
だからこそ希望です。主人公、衛宮切嗣もまた、今まで見ることなかった希望。自分の後継者であり、自分の原初の願いを思い出させてくれる息子に出会った。
これもまた希望。
今週の良かったシーン。1つ。
月下の誓い。
いくつかありますが、一番印象深かったこれを掘り下げていきたい。
切嗣は聖杯戦争終結後、士郎を養子として迎え入れ、かつて拠点としていた屋敷に住むことに。
そこからの生活は、修羅場や波乱など何一つない。切嗣が何も失うことのない平穏の日々だった。
が、手放したものを取り戻すことはできなかった。
娘であるイリヤ。あの時に聖杯を拒んだ時点で、もはやこの別れは必然だったんでしょう。
そして切嗣は余生のような5年を過ごし、ついに寿命がくる。
最後は夜に士郎と月を眺める。自分の死期を悟ってか、切嗣はかつて諦めてしまった夢を士郎に語る。
大人になったら正義の味方にはなれないと切嗣は言う。切嗣は子供の時点でそんな都合の良いモノなど存在しないと頭ではわかっていた。
でも、それに納得し、身体を止めることはできなかった。だからこそ聖杯を、そして人々の救済を求めて、結果的に多くを失った。
そんな切嗣の後悔の念。本来ならここで終わるはずだった…が、士郎はここで切嗣の予想を上回る反応をする。
自分が正義の味方になる。…これは、子供だからこそ言えることではあります。しかし士郎はこの後もこの誓いを果たすべく生き、そして第5次聖杯戦争やその後の戦いもその信念を貫いた。
切嗣はその士郎の姿から、かつてシャーレイに言えなかった夢、『正義の味方』になるという純粋な想いを思い出す。士郎のように誰かに宣言できれば、自分もあるいは道を誤らずに済んだかもしれないと。
そして、それをすることができた士郎はきっと、どんな苦境や苦悩に陥っても、その度この光景を思い出し自らを奮い立たせることができる。と切嗣は思いました。
そして…安心したと一言呟き、彼は力尽きた。
切嗣にとって士郎という存在はなによりの救いだったんでしょうね。原作では、切嗣は士郎の内にある自己犠牲の精神と正義への歪んだ解釈についてある程度理解しています。
だからこそ、士郎のこの誓いが、ただの子供の一時的な夢ではないことに気づいた。
でも自分とは違い、夢を宣言する事ができた士郎はきっと、道を誤らない。
そう切嗣は思い、そして最後にシャーレイの問いに対し、大人の切嗣が『正義の味方になりたい』と宣言。
…泣けましたね、ほんと。
他のシーンについても少し触れておきましょう。
まず、綺礼とギルガメッシュ。…こいつらは本当に楽しそうだなぁと笑えましたw
そして、ギルガメッシュの全裸があまりにインパクトが強くてもう…w
そして、綺礼と凛。
凛はほんと可哀想。父親を失い、母親も心が壊れてしまうという悲惨の状況。
そして凛は、遠坂家の頭首として一人生きなければいけないわけですからね。
そんな凛に対し、綺礼は贈り物だと言ってアゾット剣を凛にプレゼントする。
…そう、あのアゾット剣ですよwほんとこいつは…最低ですね(褒め言葉)
父親の形見のように泣きながらアゾット剣を抱きかかえる凛を見る綺礼の表情。
…あれ、笑いを堪えてるんですよ?ほんと信じられないくらいの鬼畜w
次にウェイバー。ウェイバーは聖杯戦争の時だけの隠れ蓑として利用していたマッケンジー夫妻に、本当の自分のお爺さんとお婆さんであるかのように接してましたね。
ライダーを経て、そしてグレン爺さんを経て、彼は人の情というものを理解したのでしょう。
そして、ライダーが遺したものにぼやきながらも、確かに前を見据えているウェイバー。
今回の聖杯戦争のマスターの中で、一番将来を感じさせます。
…そして、雁夜。
なんというか…ピエロですねぇ。
最初の部分から途中までのシーン。葵さんが出てくるまではまだ現実味があったんですよ?
まぁ聖杯ゲットしてもいないのに桜を連れ出しても意味ないだろうというツッコミはさておき。
そして凛と桜は抱き合って再会の感動を分かち合う。まぁ、これだけならまだ…まだね。
ですがここで、葵さん登場ですよ!いやいやいや、雁夜おじさん、その人首絞めて失神させましたよね?と。
そして雁夜は葵に笑いかけ、次に凛と桜を見る。凛と桜はそこで互いに顔を合わせ、そして、
「雁夜お父さん!」
……正直言って良いですか?…気持ち悪かったです。
いや、凛と桜は可愛いんですよ。ただ、あの純真無垢に見える表情は全部、雁夜の妄想の中の二人ですからね。
そうした他人の下心というか、都合の良い妄想をああもまざまざと見せつけられると本当に、気持ち悪い。
そしてその一言の後に現実に。雁夜は事切れて階段からずり落ち、そして下でひしめいている蟲達に貪り尽くされて死体一つ残らないという無惨な結果に。
それを見た桜は、『馬鹿な人』の一言。
臓硯に逆らうからと桜は言います。これは確かに、臓硯に痛みで調教されてきた人間なら誰しもが思うことだと思います。暴力や痛みは人を従順にさせる近道ですから。
桜にとってはその意味しか含まれていないんでしょうが、視聴者からすれば雁夜は別の意味でも馬鹿な人だったような…w
そして、セイバー。
先週カットされたバーサーカーの別れ際の言葉はここで入れられ、セイバーはついに心が折れてしまう。
自分が王にならなければカムランの戦いは起きず、ランスロットもこんな無惨な最期、鬱屈した思いを抱えることはなかったと。
そしてセイバーが聖杯に遂げる願いは祖国の救済から、選定のやり直しに変わる。
そんな何もかもに絶望したセイバーに、天が光をあてる。という場面でセイバーの出番は終了。
士郎が正義の味方になると宣言したところでここに絡めてくるのは上手いですね。士郎はセイバーにとって救いになりうる存在ですから、これはほんとうに上手かった。
そんなわけで最終話も終了し、fate zeroは終了と。なんか寂しいような、でも最後まで見れてよかったような…。
ただ、夏アニメにこれほど入れ込んで見れるアニメがあるかどうか、なんですよね。
まぁとにかく、ほんとfate zeroがアニメ化されて良かった。
fate zeroアニメの全体の感想も書きたいですが、それは後日。それも気が向いたらということで。
今週でようやくfate zeroも終わり。
最終話を一言で表すなら…希望。
これしかないでしょう。確かに登場人物の内ほとんどが死に、黒幕である綺礼とギルガメッシュは生き残るという皮肉な結果。
ですが、それでも希望はある。それは、それぞれ芽吹いたもの、受け継がれた意思があったから。
士郎は切嗣の理想を受け継ぎ、凛もまた歪んだ形ではあるが父の信念を受け継いだ。
そしてウェイバーもまた、男として一回り大きくなり、まずは見識を広めようと行動し始めた。
つまり、若者、子供が前へ進む決意をしているわけです。これらは、fate/zeroがただ絶望的なだけの物語ではないという何よりの証。
だからこそ希望です。主人公、衛宮切嗣もまた、今まで見ることなかった希望。自分の後継者であり、自分の原初の願いを思い出させてくれる息子に出会った。
これもまた希望。
今週の良かったシーン。1つ。
月下の誓い。
いくつかありますが、一番印象深かったこれを掘り下げていきたい。
切嗣は聖杯戦争終結後、士郎を養子として迎え入れ、かつて拠点としていた屋敷に住むことに。
そこからの生活は、修羅場や波乱など何一つない。切嗣が何も失うことのない平穏の日々だった。
が、手放したものを取り戻すことはできなかった。
娘であるイリヤ。あの時に聖杯を拒んだ時点で、もはやこの別れは必然だったんでしょう。
そして切嗣は余生のような5年を過ごし、ついに寿命がくる。
最後は夜に士郎と月を眺める。自分の死期を悟ってか、切嗣はかつて諦めてしまった夢を士郎に語る。
大人になったら正義の味方にはなれないと切嗣は言う。切嗣は子供の時点でそんな都合の良いモノなど存在しないと頭ではわかっていた。
でも、それに納得し、身体を止めることはできなかった。だからこそ聖杯を、そして人々の救済を求めて、結果的に多くを失った。
そんな切嗣の後悔の念。本来ならここで終わるはずだった…が、士郎はここで切嗣の予想を上回る反応をする。
自分が正義の味方になる。…これは、子供だからこそ言えることではあります。しかし士郎はこの後もこの誓いを果たすべく生き、そして第5次聖杯戦争やその後の戦いもその信念を貫いた。
切嗣はその士郎の姿から、かつてシャーレイに言えなかった夢、『正義の味方』になるという純粋な想いを思い出す。士郎のように誰かに宣言できれば、自分もあるいは道を誤らずに済んだかもしれないと。
そして、それをすることができた士郎はきっと、どんな苦境や苦悩に陥っても、その度この光景を思い出し自らを奮い立たせることができる。と切嗣は思いました。
そして…安心したと一言呟き、彼は力尽きた。
切嗣にとって士郎という存在はなによりの救いだったんでしょうね。原作では、切嗣は士郎の内にある自己犠牲の精神と正義への歪んだ解釈についてある程度理解しています。
だからこそ、士郎のこの誓いが、ただの子供の一時的な夢ではないことに気づいた。
でも自分とは違い、夢を宣言する事ができた士郎はきっと、道を誤らない。
そう切嗣は思い、そして最後にシャーレイの問いに対し、大人の切嗣が『正義の味方になりたい』と宣言。
…泣けましたね、ほんと。
他のシーンについても少し触れておきましょう。
まず、綺礼とギルガメッシュ。…こいつらは本当に楽しそうだなぁと笑えましたw
そして、ギルガメッシュの全裸があまりにインパクトが強くてもう…w
そして、綺礼と凛。
凛はほんと可哀想。父親を失い、母親も心が壊れてしまうという悲惨の状況。
そして凛は、遠坂家の頭首として一人生きなければいけないわけですからね。
そんな凛に対し、綺礼は贈り物だと言ってアゾット剣を凛にプレゼントする。
…そう、あのアゾット剣ですよwほんとこいつは…最低ですね(褒め言葉)
父親の形見のように泣きながらアゾット剣を抱きかかえる凛を見る綺礼の表情。
…あれ、笑いを堪えてるんですよ?ほんと信じられないくらいの鬼畜w
次にウェイバー。ウェイバーは聖杯戦争の時だけの隠れ蓑として利用していたマッケンジー夫妻に、本当の自分のお爺さんとお婆さんであるかのように接してましたね。
ライダーを経て、そしてグレン爺さんを経て、彼は人の情というものを理解したのでしょう。
そして、ライダーが遺したものにぼやきながらも、確かに前を見据えているウェイバー。
今回の聖杯戦争のマスターの中で、一番将来を感じさせます。
…そして、雁夜。
なんというか…ピエロですねぇ。
最初の部分から途中までのシーン。葵さんが出てくるまではまだ現実味があったんですよ?
まぁ聖杯ゲットしてもいないのに桜を連れ出しても意味ないだろうというツッコミはさておき。
そして凛と桜は抱き合って再会の感動を分かち合う。まぁ、これだけならまだ…まだね。
ですがここで、葵さん登場ですよ!いやいやいや、雁夜おじさん、その人首絞めて失神させましたよね?と。
そして雁夜は葵に笑いかけ、次に凛と桜を見る。凛と桜はそこで互いに顔を合わせ、そして、
「雁夜お父さん!」
……正直言って良いですか?…気持ち悪かったです。
いや、凛と桜は可愛いんですよ。ただ、あの純真無垢に見える表情は全部、雁夜の妄想の中の二人ですからね。
そうした他人の下心というか、都合の良い妄想をああもまざまざと見せつけられると本当に、気持ち悪い。
そしてその一言の後に現実に。雁夜は事切れて階段からずり落ち、そして下でひしめいている蟲達に貪り尽くされて死体一つ残らないという無惨な結果に。
それを見た桜は、『馬鹿な人』の一言。
臓硯に逆らうからと桜は言います。これは確かに、臓硯に痛みで調教されてきた人間なら誰しもが思うことだと思います。暴力や痛みは人を従順にさせる近道ですから。
桜にとってはその意味しか含まれていないんでしょうが、視聴者からすれば雁夜は別の意味でも馬鹿な人だったような…w
そして、セイバー。
先週カットされたバーサーカーの別れ際の言葉はここで入れられ、セイバーはついに心が折れてしまう。
自分が王にならなければカムランの戦いは起きず、ランスロットもこんな無惨な最期、鬱屈した思いを抱えることはなかったと。
そしてセイバーが聖杯に遂げる願いは祖国の救済から、選定のやり直しに変わる。
そんな何もかもに絶望したセイバーに、天が光をあてる。という場面でセイバーの出番は終了。
士郎が正義の味方になると宣言したところでここに絡めてくるのは上手いですね。士郎はセイバーにとって救いになりうる存在ですから、これはほんとうに上手かった。
そんなわけで最終話も終了し、fate zeroは終了と。なんか寂しいような、でも最後まで見れてよかったような…。
ただ、夏アニメにこれほど入れ込んで見れるアニメがあるかどうか、なんですよね。
まぁとにかく、ほんとfate zeroがアニメ化されて良かった。
fate zeroアニメの全体の感想も書きたいですが、それは後日。それも気が向いたらということで。