じゃがり狂の日記

孤男が日々のあれこれや時事ネタを垂れ流すブログ。 オタなので漫画やアニメ、ゲーム、最近は自己満足アウトプット用のコミュニケーション技術関連のことも書きます。

2015年12月

こんばんわ、じゃがり狂です。
今日は何をテーマに話すでもなく、とりあえず思いついたことをダラダラと書いていこうと思います。

ほんと最近は仕事の残業が酷いですね、労基とかガン無視ですよ。
さらに残業終了してからタイムカードを切ってたりしたら始末書みたいなの書かされますしね。
人手足りない状態でなんとか仕事回させてるのはお前らだろうがと言いたい。

けどまぁ今は社畜らしく残業が本格化する前にタイムカード切ってまた残業ですよw
ほんとやってらんねぇ。

今現在、菜根譚とかいう中国の処世訓の日本語訳版を読んでるんですがね、そこに書いてあるのはまぁ確かにその通りだと思うんですが、
そんなの今の世の中でやってられないでしょうと言える。

ノルマやら結果やらに追われてせかせか働いてる人間が多い日本社会は異常みたいに書かれてますが、まぁその通り。

でもね、輸出できる天然資源を持たないちっぽけな島国に1億6000万人。社会保障や医療、老後も保障しますとなるとやっぱり現役世代が死にもの狂いで頑張らなきゃいかんわけですよ。

全員が好き勝手、のんきに生きてたらこの世の中回らない。

まぁ俺も本音ではもっとゆっくり生きたいわけですが、少なくともそれができるだけの金や才能、知能や技量があるわけじゃないんで。
自分の感覚として、一度仕事を辞めたら足場がなくなって一気に堕落しそうなんですよね。

そこから中途採用目指して職探しとかもう考えられない。学生時代の就活すら面倒極まりなかったのに。
自己PRとか長所とか志望動機とか考えて答えるのもアホらしい。

楽に生きれたらそれに越したことはないんですがね~。


なんか雑記のつもりが愚痴になってしまってますね。また明日も楽しい仕事なんでここらへんで切ります。

こんばんは、じゃがり狂です。
また2か月ほどの期間が空いてしまい、大変申し訳ないです。
実生活が今とても忙しいのと、精神的余裕もあまり持てないのとでどうも調子が狂いがちです。
11月の中頃にPS4を買い、ウィッチャー3というゲームをやってたんですが、それから少し経って職場の上司が変わって一気に
やることが増えたおかげでもう、ゲームやる気力も起きないという。

家庭用ゲームって、最近のは映像が良いだけに脳の処理に負担がかかるのかけっこう疲れるんですよね。
そのうえ時間がけっこうかかるし、休みの日に長時間プレイし終わったとき、肩こりと頭痛を感じつつ今日何してたんだろうみたいになる。

これが無職で時間が余ってたり、とくに仕事に追い詰められてなかった場合は問題ないんでしょうが、あいにくと今の自分はそうではないようです。

だから最近は自分の趣味、娯楽にしても実益に結びつくようなものを選ぶ感じになってきてますね。

たとえばレンタルDVDでもお笑いのを借りてみたり、あれはあれで話の運び方、ウケの取り方が学べます。昔はバカにしてたけど芸人ってけっこう凄いんですよね。

あとは読書。実用本でなく小説でもいろいろなことが学べますし、語彙も広がりますね。

そしてこうしてブログを書くこともまた、文章を考えてタイピングしてそれを綺麗な形で起こすということで頭の運動になる。

アニメもゲームもまだまだ好きなんですが、最近それだけじゃ人間として成長できないんじゃないかと思い始めてます。
とくにアニメは時折内容のチープさにうんざりすることもあるんで、基本やっぱりアレは子供向けなんだろうなと思う時が。

さて、本日の本題に移らせていただきます。
タイトルの「色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の旅」
長いタイトルですね、ちなみにライトノベルでなく小説。作者はなんと村上春樹です。
おおまかな内容として、
青年時代、田崎つくるという男には名前にそれぞれ色を持った4人の男女の仲間がいた。
一人だけ名前に色をもたないつくるはそれに疎外感を感じながらも、彼らとの輪に特別な一体感を感じていた。
そして大学生となり、つくるは自分の夢のために一人、故郷の名古屋から東京へ移り住んだ。
他の仲間は名古屋に留まる形となり事実上名古屋には4人だけとなったが、仲間の輪はすぐに崩れることなく続いた。
しかし2年が経ち、つくるはなんの前触れもなく、仲間から外されることになった。しかも原因はつくるにあるという。
突然の離別、あまりの絶望に感情が鈍化しつくるはその原因を探ることなくその離別をあっさり受け入れてしまう。
それから十数年。あまりに衝撃的だった離別によりつくるは人相や考え方が変わってしまいながらも自殺することなく日々を暮らし36歳となった。
そんな彼はある日、今現在付き合っている女性、沙羅に自分の過去を話すと仲間についての話題に移り、離別までの経緯を話した。
すると沙羅はその離別は今もつくるの心に影を残していて、その理由を知ることが必要だと諭す。
そうしてつくるは十数年経った今になり、なぜ自分が仲間の輪から外されることになったのか、かつての仲間と再会し問うことを決意した。


以上がおおまかな内容です。やっぱりこれを書いていると頭が整理されていいですね。
そのうち自分で小説も書いてみたいなと思っているのでその練習としてもちょうどいい感じです。
とはいえ、大体プロットやら設定やら作ってるうちに飽きるというか、自分のセンスや知識のなさに失望してやめちゃうんですが。

ネタバレをせず大雑把に感想を言うと、たまにはこういう話もいいな、ということ。
劇的なものはない、ただ一人のごく普通の人間のドラマ。まぁ俺からすれば多崎つくるは十分凄い人なわけですが、それでも小説のキャラとしては取り立てて特別なものはなく、特別なことをするわけでもない。
そして物語としても劇的なことはなく淡々と、それでいて内に問いかけるような心理描写が多い。

すべての謎は解決されることなく、あくまで多崎つくるの視点で、彼が知れる範囲だけの情報が小説の中では公開される。

人によっては不満が残る最後かもしれませんが、ある意味そういう曖昧さもまた人生なんじゃないかなと思えます。

対人関係が曖昧なうちに切れてしまうこと、皆さんにはありませんか?俺はわりとしょっちゅうです。
本当に大事だと思える仲間ないし恋人なんて一度もできたことありませんからね、そういう意味では俺もだいぶつまらない人生歩んでるなと思うときがあります。
だからこの小説の主人公は幸運だといえますし、たとえ急に仲間から外されたとしても、十数年後にその理由を知るべきだと言ってくれる人に出会えてるわけだからだいぶ幸せ者です。
そしてその後押しを受けたにせよ、十数年経ってからかつての旧友に遭う決意を固め実行するつくるもまた勇気ある人物です。
それだけかつて結んだ絆が強いとも言えるでしょうね。
自分語りになりますが、そうまでして再び会いたいと思えるヤツなんて今までの人生で一人だっていませんし。

こういうひたすらにヒューマンドラマを突き詰めた作品を読むとどうも感傷的になってしまいがちです。
ただそういうのに浸るのもまた悪くないと思えてきた今日このごろ。

綺麗事を羅列しているわけでもなく、すべてがハッピーエンドに終わるわけでもない。ただ人生とはこういうものであり、だからこそ生き甲斐がある。
そう伝えようとしているように感じた作品でした。

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